
僕は昨年会社を辞めて、独立したのですが、実はこれが最初の起業ではありませんでした。最初の起業(今考えると、とても起業とは呼べないですがw)は、30年以上前。
もうこれぞ大失敗! と言えるダメダメ起業でした。この話は、恥ずかしすぎて誰にも話したことがありませんが、僕という人間を知ってもらうには、必要だなと思ったので、そこも隠さず書いてみます。
はじめての就職
世の中そんなに甘くはなかった
高校生までは、地元の地方都市で暮らしてきて、一浪して関西の大学に進学しました。
関西での生活が肌に合ったのと、大学を卒業して田舎に帰りたくなかったので、そのまま関西で就職をしました。

優秀な学生ではありませんでしたが、猫の手も借りたいという売り手市場のタイミングだったため、就職活動は1社のみで、その1社に入社することができました。
※ただ暑い夏に満員電車に乗って就職活動をするのが嫌だったという理由でしたw
最初の会社は、誰もが知っているマクドナルド。
かわいい女の子がたくさん働いていて、きっと毎日が幸せなんだろうなぁという甘すぎる期待をいだいておりましたが、当時はもうめちゃくちゃハード、ブ◯ックな環境が僕を待っていたのです。
大学の講義もほとんで出席せず、バイト(カラオケパブ)行って、お客さんと2次会3次会で朝まで飲んで、夕方起きて…みたいなふざけた学生だった僕は、もう天国から地獄におちたみたいな気分でした。
それでも、なんとか1年を乗り越え、仕事ができるようになってからは、忙しいながらも楽しい日々を送れるようになっていました。
マクドナルドでは、「人の教育」をとても重視していました。社員の仕事は
いかにパート、アルバイトの人のやる気を活性化させ、主体的に働いてもらうかを追求すること
だったなと思っています。
このあたりは、別の記事でもう少し詳しく書く予定です。
上司からの誘い
入社から6~7年。通常業務はさほど負担では無かったのですが、相変わらず拘束時間は長く、こんなんで将来家庭を持ったりできるのだろうか?と疑問を持つようになった頃、とても信頼できる上司から、声がかかりました。
上司の自宅に呼ばれて行ってみると、そこでは何やら洗剤のデモが…(笑)
そして、その後、「ビジネスもできるから、興味があるなら聴いてみる?」と言われ、説明を聴いたのでした。
大体わかると思いますが、ビジネスのことなんかよくわからない20代後半の若者が、信頼できる上司の説明を聴いたら、そりゃなんだか夢が膨らみます。
「そうだ!これこそ自分が望む自由な世界を手に入れる方法だ!」と感動したのでした。
※ちなみにこのビジネス自体は、MLM(マルチレベルマーケティング)と言って、違法なものではないのですが、取り組む人のビジネスへの理解度次第で、問題が起きる可能性もあると、今は捉えています。
成功の妄想
それからというもの、未来がめちゃくちゃ明るく見えてきて、舞い上がりました。もうなんだか成功が約束されたようなフワフワした高揚感がありました。
会社なんて勤めてる場合じゃない!会社を辞めて自由にビジネスする時間を確保しなくては! 自分もそう思ったし、誘ってくれた上司も会社を辞めると言っています。もう勢いで、辞めることに….
今このときのことを冷静に見ると、浅はか過ぎて、笑ってしまいます。そもそも、ビジネスに関することは、何も勉強したこともなく、マインドセットも無かった状態で、後先考えずに会社を辞めたのですから。
いざ辞めてみると…

びっくりするほど行動できない自分がいました。時間だけは膨大にありましたが、何故か行動できず… あれ?会社辞めて独立して成功を目指すんじゃなかったの? 自問自答しますが、解決にはならず、悶々とする日々が続きました。
今だからわかるのですが、この時の僕は「会社が嫌で、そこから逃げたかった」だけでした。でも、それだとカッコ悪いから、ちょうどその時に来たチャンスのようなお話で、未来の自分に期待しただけだったのです。
「未来の自分に期待する」って、悪くなさそうな感じもしますが、これって、「今ここの自分」は何もしないってことです。
未来は今日の連続です。今日何もしない=未来も何もしてないってことです。
今日何もしない自分を見て見ぬふりしてたんですよね(汗)
生きるためのバイト生活

この時僕は大阪に住んでいたのですが、会社を辞めても行動出来ないわけなので、お金は底を尽き始めます。このままではやばい!と思い、いくつかバイトもしました。
その一つが◯川急便の仕分けのバイトでした。
夜22時から翌朝9時くらいまで、仕分け用のベルトコンベアが敷き詰められた施設の中で、荷物の送り先別に仕分けをしていく作業です。
めちゃ過酷でした(涙)
とにかく、ベルトコンベアで流れてくるのは、でかい冷蔵庫とか、自転車とか… もう思いっきりパワーが必要なお仕事で、もはやお仕事というより、拷問みたいな感じでしたね。
朝、仕事が終わると、バッキバキになった体を引きずって、めちゃ汚い事務所とは言えない部屋で、皆順番にその日の日当をもらうのですが、そこに居た人たちの誰一人目に輝きが無かったことだけは、覚えています。
「あぁ、ここが自分の底辺かな」と感じました。
そして、絶対このまま埋もれていきたくない!もっと人生をパワフルに生きて行きたい!絶対立ち上がる!って思った瞬間でした。
あ、あともう一つ過酷だったのは、真冬の夜間の京都の高速道路の警備員(?)。
確か名神の京都南インター付近で、ひたすら交通誘導をするという仕事です。
防寒具を着ても、めちゃめちゃ冷えるし、眠いし、寒いのに眠りそうになります。
眠ったら死ぬってやつですね(笑)
長くなってしまったので、ご興味があれば、続きは
「プロフィール②~仕切り直し」をご覧くださね。