
何も結果出ないまま、実家へ
そんな状態だったので、いつまでも関西で生活し続けることも難しくなっていきます。もうこれはだめだ!と実家に帰ることになったのです。
実家には、僕とあまり反りが合わない父親がいたので、憂鬱でしたが、その時の僕は実家に帰る選択肢しかなかったのでした。
派遣社員生活はじまる
実家に戻ってからは、ひとまず住むところと食事は確保が出来ました。でも、諸々立て直すには、とにかくまとまった収入が必要だったので、派遣の会社にいくつか面接に行きました。
N◯Cとか、カ◯オとかの下請け会社の派遣社員って感じです。
仕事自体は、誰でも出来るものでしたが、ずっと同じ作業がひたすら続くので、めちゃくちゃ退屈でした。
更に、1日中ほとんど話すことが無いので、それまでの仕事で、ずっとしゃべりまくっていた僕は、だんだん居心地が悪くなっていくのでした。
脱派遣社員
いつまでも派遣社員のままだと、結婚したりも出来ないだろうとはずっと思っていたので、正社員で働けるところを探すようになりました。
色々な職種がありましたが、自分に出来そうだと思ったは、やはり外食産業系かなと思っていたので、たまたま新聞の求人広告に載っていたモ◯バー◯ー(笑)の面接に行くことに。
ここでは2年働くことになります。最初の1年は軽い修行みたいなもので、マクドナルドとのギャップを感じつつも、慣れていきました。フランチャイズでしたが、まぁここでもなかなかのブ◯ック状態でしたが(汗)

2年目は店長になって、クリスマスのチキンをたくさん売ったら、ボーナス出すと言われたので、バイトさんやパートさんに声をかけ、めちゃくちゃ売れるための体制作りと、準備をしたおかげで、対前年で3倍くらい売り上げました。
ですが、「もう一店舗が赤字だったから、ボーナスは出ません!」と言われ、思わず
だめだこりゃ(いかりや ちょうすけ風w)
と思ったのでした。
最後の転職

あらためて見返すと、会社員⇒起業(失敗)⇒過酷なバイト生活⇒派遣社員⇒再就職⇒だめだこりゃ…
という、残念な道のりを歩んできたなぁと。
せっかく生活のたてなおしを考えて再就職したのに、これではやっぱり家庭を持つのも難しそうだと思い、再度転職を考えます。
この時、すでに35歳。当時としては、転職出来るギリギリの年齢になっていた僕は、結構焦りつつ、日々求人誌に目を通していました。
でも、地方都市で、そもそも正社員系の求人は少なく、営業職が多かったので、なかなか自分が出来そうな仕事は見つかりませんでした。
この時点では、まだモ◯バー◯ーで働いていたので、就職活動も思うように出来なかったこともあり、次が決まる前にまずは会社を辞めようと決意したのです。
この続きは、プロフィール③~営業職は天職だった?をご覧ください^^